KIZUKISMILE 宮﨑エイジ

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プロフィール

 

 

     

 

臨床心理士 整体師

宮﨑英治(宮崎英治 みやざき えいじ)

埼玉県大宮市生まれ
東京・鎌倉育ち


企業での会社員経験15年以上(スポーツ業界や外資系企業)
会社員時代に臨床心理大学院に入学、その後心理の仕事に従事
(EAP企業、子供発達センター(療育)、精神科総合病院など)


2016年に独立し「ココロとカラダのコンディショニングルーム kizukismile (キズキスマイル)」を開業、神奈川県・東京都を中心に全国を飛び回っている。


「自分の心・身体の状態に氣づき、健康にそして笑顔になるように」という思いで、整体師、臨床心理士、メンタルトレーナー、ビジョントレーニング、コオ―ディネーショントレーニングトレーナーとして活動している。


(クライアント様)


★日本代表選手、パラリンピック代表選手をはじめ、世界で活躍する様々なスポーツのトップアスリート・社会人アスリート・学生アスリート

(メンタルトレーニング・心理カウンセリング・ビジョントレーニング・コオーディネーショントレーニング・フィジカルサポート)

★10代~80代の老若男女(心理カウンセリング)


★幼稚園から高校生までの子供さん。(心理カウンセリング・ビジョントレーニング・コオーディネーショントレーニング、 フィジカルサポート

 

(主な資格など)

・臨床心理士(スポーツカウンセリング) メンタルトレーナー

(心理大学院修了 臨床心理学修士)CSPP (California School of Professional Psycology) 修了

 

 修士論文「認知行動療法(CBT)のスポーツメンタルトレーニングへの有用性」

 

・カイロプラクター
 日本カイロプラクティック医学協会
(Japanese Association for ChiropracticMedicine)認定

 

・ビジョントレーニングインストラクター

 

・コオーディネーショントレーニングトレーナー

(ドイツライプティヒ大学認定)

 ドイツに短期留学をしてトレーナー資格を取得

 

・メンタルコーチ

 

 

 

 

学校・企業・スポーツチーム、団体など、全国で50回以上のセミナーを開催

 

(セミナー実績)

全国で50回以上のセミナーを開催

 

REBT(認知感情行動療法)セミナー

メンタルヘルスセミナー(アスリート向け、親子向け)

ビジョントレーニングセミナー(アスリート向け、親子向け)

コオーディネーショントレーニングセミナー(アスリート向け、親子向け)

メンタルトレーニング講座

ボディートークセラピー体験講座

身体のメンテナンス講座

 

   

 

 

 

(少し長いプロフィール)

 

子供時代

 

生まれた時からと言っていいくらい(笑)身体を動かすことが大好きでした。赤ちゃんの時、押し入れの上から一回転して下に敷いた布団にダイブするなんてことをしていました。記憶もちゃんとあるんです。すごく楽しかったです。この写真からはそんなことをしているとは想像つかないでしょう(笑) 

 

 

おそらく、国体選手だった祖母のDNAを受け継いだんだろうと思います(祖母は、当時明治神宮で行われていた国体に、バレーボール選手として出場していたアスリートでした)

 

小学時代は、野球。中学時代はバスケットボールと陸上(短距離、高跳び、幅跳び)。高校時代はラグビーと、スポーツは自分にとってなくてはならないものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の頃から腹筋300回とかやってたんですよね(笑)

見えにくいけど6パックの子供時代の写真。

 

 

 

会社員時代 

 

大学卒業後はスポーツウエアメーカー、外資系食品メーカーで、商品企画や営業に携わる。

 

スポーツウエアメーカー時代

 

スキーとアウトドア担当として、

山仕様の営業車(四駆のTOYOTAランドクルーザーやSUBARUレガシー)に乗って、

北海道から東北地方、甲信越地方、関東地方を飛び回ってました。

今日は仙台へ新幹線で日帰り、次の日は新潟に日帰りなんてこともしょっちゅうでした。

 

エイジ
エイジ
1年365日のうち、250日は出張していたと思います!

 

スポーツウェアメーカー時代、プロスキー選手(アルペン競技、基礎スキー)、プロスノーボーダー、プロトライアスリート、プロゴルファーなど、ナショナルチームをはじめ、トップレベルで活躍するアスリートの存在が身近にありました。プロとしての姿勢、トレーニング法、コンディションの整え方など多くの事を学ぶことができました。

また、アウトドア部門の担当時代には、ヒマラヤをはじめとする世界最高峰の山々に挑戦し、登頂を成し遂げているトッププロクライマーや登山家、冒険家の方々と関わらせていただき、様々なお話を聞くことができたのも本当に貴重な経験です。

 

臨床心理大学院に入学  心理の仕事をしながらスポーツ心理学を学ぶ

 

臨床心理大学院に入学、心理の仕事に携わる

10年のスポーツウェアメーカー勤務の後、外資系企業に転職。オーストラリア人上司の元、最先端のマーケティングを学びながら仕事をしていました。

30代前半で臨床心理大学院に入学。会社員と学生の2足の草鞋がスタート。仕事は片手間には絶対にしたくないので、毎日のレポートに悪戦苦闘しながら睡眠時間を削って頑張ってました。

大学院時代に約500床の精神科の総合病院で、1年間のインターンを経験。 

ドクターやコメディカルスタッフと連携しながら、統合失調症、重度のうつ病、摂食障害、双極性障害、境界性パーソナリティー障害など、様々な症状の患者さんと関わらせていただきました。

 

エイジ
エイジ
仕事と両立しながらの大学院生活は、修了までに合計6年かかりました!

 

大学院で経験したことを、スポーツに関わる仕事に生かしたいと考えていて、大学院での修士論文のテーマは

「認知動療法(CBT)のスポーツメンタルトレーニングへの有用性」でした。

大学院時代は、寝る間も惜しんで何百という研究論文を読み漁りました。今行っているアスリートのサポート活動には、大学院の経験が生かされています。

サポート選手のトレーニングメニューを組み立てる時は、スポーツ心理学や脳科学、認知科学など、世界中の文献や情報を調べて、メニュー作成に生かすという事を行っています。

 

大学院生時代に勤めていた外資系企業を退職し、心理臨床の経験を積むために様々な職場で経験を積みました。心理系大学の職員、従業員復職支援プログラム(英: Employee Assistance Program: EAP)の会社、自閉症・発達障がいのお子さんの通う施設など、約7年間心理臨床の現場に携わっていました。

 

身体の事を理解するために、整体の専門学校へ そして整体院を経営する

 

身体の事を理解するために、整体を学ぶ

 

心理臨床の現場でも、ソマティックサイコロジー(Somatic Psychology)という、言葉だけでなく、非言語的な手法も組み合わせた心理学分野が好きで実践していました。クライエントの身体から表現される「メッセージ」にアプローチする事が、僕自身向いていたのだと思います。

心と身体はつながっている。 心だけでなく、身体についても理解して、クライアント(アスリート)を総合的にサポートしていきたい。

と考えるようになりました。身体の事を知るために、何を学び、身につければよいのか。考えた末にカイロプラクティックの専門学校に入学。同時にカイロプラクティック院にスタッフとして就職しました。「やるからには、とことん全力でやる!」というのが自分の性格。 数年間の修行を経て、新宿区にカイロプラクティック院を開業するまでになりました。

 

 

 

(カイロプラクティック専門学校でインストラクターをしていた時の様子)

 

カイロプラクティック院を営みながら、将来は臨床心理学と身体の専門性を生かして、心身両面からアスリートをサポートする臨床家になるべく、日々研究と実践に励んでいました。

 

 

エイジ
エイジ
この頃、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボール、アーチェリー、テニス、格闘技、武道、など、様々な競技のアスリートのサポートを行っていました。

 

病に倒れる

 

カイロプラクティック整体院を開業し、現場のプレーヤーとして多い日は20人近くの患者さんと向き合い、そして、経営者としてスタッフの生活を守るために、山あり谷ありの日々を懸命に生きていた時に、突然の病が襲いました。 きっかけは「一瞬の胸の激痛」でした。

胸の痛みはほんの30分ほどで消え、数日後から咳と息苦しさが出始めました。 何日経っても息苦しさが治まらず、いくつかの病院に行きましたが、診断は「気管支炎」と「喘息」との事。

気管支炎や喘息の治療を始めたものの、良くなる気配は全くありません。むしろ息苦しさは増すばかり。

治療をはじめて1か月、ついには階段を、手すりを掴んで上らなければいけなくなるほど苦しい状態になってしまいました。それでも「自分は気管支炎なのだ」と信じて疑わず、日々患者さんに向き合っていました。

そしてついに、立っていることすらもできない状態になり、タクシーで呼吸器で実績のある病院へ。そこではじめてレントゲンを撮ったところ「肺が半分潰れて心臓を圧迫し危険な状態」という事が判明。

神戸市北区の呼吸器外科医さんのブログより引用

 

その場でドクターが、近隣の集中治療が行える大規模病院を探して連絡をとって下さり、すぐに転院。 緊急処置を行う事になりました。

大規模病院に到着後、意識がもうろうとしている時にドクターから「危険な状態なので、人工呼吸器をつける事を覚悟してください」と言われたのを覚えています。

その後1週間くらい、いろいろな事がありましたが、今は120%元気になりました。そして、後日ドクターからは「あと数時間遅れていたら命が危なかった」とも言われました。今こうして元気でいられることに、感謝しかありません。

最終的に、整体院を手放すことになったことは本当に残念でしたが、後悔はしていません。

命があればいつからでも、何歳からでもチャレンジできるから。

 

 

フリーランスのプロフェッショナルコーチとして再出発

病気になって整体院の経営を手放すことになり、全てを失った。

1度は完全に潰れてしまった肺も、奇跡的に元の大きさまで戻ったけれど、機能がなかなか回復しなかった。どうしたら良くなる? 回復の見込みはあるのか? 落ち込む日ばかりだった。

でも、自分の中に揺るがないものがある。

それは、「夢をあきらめず前を向き続けるアスリートを全力でサポートすること。そして、どんな時でも自分を励まし元気づけ、救ってくれたスポーツに恩返しをする。」という事。

 

赤ちゃんの頃から身体を動かすことが大好きで、スポーツという存在は僕にとってかけがえのないものだった。(子供時代参照)

 

高校までスポーツに明け暮れた。

中学ではバスケットボール部に入部。神奈川県にある全国大会常連の強豪校からスカウトが来るレベルにまでなれた。

高校ではラグビー部に入部。都立高校ながら、全国大会ベスト4の高校と対戦し、ウィングとして先制トライを奪い、当時の高校日本代表監督から高い評価をいただいたことも。

自分には「トップアスリートとして日本、海外で活躍する」という大きな夢があった。

でも、僕の大きな夢は終わりを告げることになった。17歳の時に不整脈を発症。

トレーニングで追い込むと、不整脈が起こってしまう。ハードなトレーニングができなくなった。

それまで、スポーツだけが自分の生き甲斐だった。目の前が真っ暗になった。

精神的に不安定になり、パニック障害も発症した。

「スポーツしかない俺が、何でこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ」

 

生きていく事が嫌になっ た。 

 

そんな時に自分を励まし、勇気を与えてくれたのはやっぱり「スポーツ」だった。

どんなに困難な時も、決してあきらめずに挑戦しプレーし続けるアスリートの姿が、僕を救ってくれた。

新たな夢が生まれた。

アスリートをサポートすること。どんな困難にあっても、夢をあきらめず前を向き続けるアスリートを全力でサポートすること。そしてそのアスリート達が最高のパフォーマンスを発揮することだ。 自分が今まで培ってきた知識、経験、スキルが必ず役立つことを確信している。

自分を救ってくれたスポーツに恩返しをする。

 

アスリートのプロフェッショナルコーチ。

それが、今の僕の仕事です。

 

エイジ
エイジ
あなたのパフォーマンスを最大限に発揮するサポートを、ぜひさせてください! 一緒に夢を実現させましょう!!

 

 

 

 

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